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Sunnyday Trip
1985年生まれ | 夫と2人暮らし
体力と忍耐力が限りなくゼロに近いずぼらな私
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学校に行きたくないあなたへ【いじめ体験談】傷ついた心に届けたい未来からのメッセージ

目次

学校に行きたくないあなたへ

このブログを見つけてくれてありがとう。
あなたは今、「いじめが辛い」「誰かに助けて欲しい…」と思っていませんか?

今すぐ飛んで行って話を聞いてあげられたらいいのだけど…

まずは私の小学生の頃の「いじめ体験談」と、「今とっても幸せに暮らしていること」、そして「いじめが辛いあなたへ伝えたいメッセージとは何か」についてお伝えするので最後まで読んでくださいね。

大丈夫。
私は今とっても幸せです。

私が小学生の頃に経験した「いじめ体験談」

まず私が小学校5~6年生の頃に体験した、約1年間続いたいじめの詳細についてお話しします。

突然のいじめの始まり

私は小学生の頃、変わり者でした。

女の子たちが休み時間にゴム飛びで遊んでいるなか、マイペースな私は1人で中庭に行って、筆箱の中で飼育していた青虫のエサ(草)を取りに行ったりしていました。

変な奴だったと思います。笑

女子特有の「なんでも一緒に」というのが苦手だったので、男子に混ざってキックベースをしたり、自由気ままに過ごしていたのですが、小学5年生のある日、女子生徒が突然全員昼休みに姿を消しました。


近くにいた男子に、みんなはどこへ行ったか尋ねたところ
「〇〇の作戦会議をするから焼却炉に集合って言ってたで」
と言われました。


女子生徒が教室に帰ってきたと思ったら、そこから一斉に全員無視が始まりました。


その仲間外れは1年以上続きました。
(悲しいことに小学5〜6年生はクラス替えがありませんでした)


トイレに入っていると上から水をかけられたり、体育の授業でグループを作るときも誰からも選ばれることはなく、いつも一人ぼっちでした。

今、ここに存在している自分を消したい。
学校ではいつもそう感じていました。

当時受けたいじめの記憶は今も鮮明に覚えていて、ずっと忘れられません

日曜日の夕方になると、学校に行くのが辛くて辛くて…
小学5年生からサザエさん症候群を経験していました。

なぜ家族に言えなかったのか?

不思議なもので当時は「自分の家族に知られたら終わりだ!絶対に阻止しなければ!」と思ってしまっていたんです。

母親や、同じ部屋で生活していた姉にも自分が学校でいじめに遭っていることを必死で隠していました。


家族のことは大好きだったのに、思春期特有の考え方でしょうか。
母や姉は今なら何でも相談できます。


でも当時は、親に知られるのが怖くて怖くて、バレたら最後だと思ってしまっていました。

親をがっかりさせたくなかったんでしょうね。

よく家のトイレで声を押し殺して泣いていました。

マンションに住んでいたので、一度だけ
「ここから飛び降りたら死ねるかも…」
と思ってベランダに出たことがあります。

でも、そんなことをしたらお母さんが泣いてしまうからやめようと思ったことも覚えています。

助けてくれたのは、隣のクラスの女の子

仲間はずれが1年ほど続いた頃、隣のクラスの女の子がいつも私が1人でいることに気がついてくれ、「先生に話をしよう!」と言ってくれました。

「先生にチクったことがバレたらもっとひどくなるかもしれないからやめておこう?」

私は怖くてそうお願いしたのですが、正義感の強い女の子だったので半ば強行突破で担任の先生に話をしに行ってくれました。

理科室に案内され、担任の先生と私と友だちの3人で話をしました。
話を聞いた担任の先生は「気づいていなかった」と言っていました。
(本当かな…当時小学6年生だった私はそう思いました)

その後、先生は女子生徒だけを集めて、
【なぜ〇〇さんを仲間外れにしているのか】の学級会を開きました。

放課後理科室に集められ、
「なぜいじめているのか?何が嫌だったのか」
をひとりずつ順番に発表させたのですが、それもまた辛い時間でした。

私が仲間外れにされた原因は、特段大したものではありませんでした。

当時リーダー格だった女の子がクラスの女子生徒を昼休みに全員集めて「今から口を聞かないように」と言ったことが始まりだったそうです。

学級会の後、ほとんどの女子が口を聞いてくれるようにはなったのですが、主犯格だった4人のグループは私の予想通り「先生にちくりやがって!」と怒っていて、その後も口を聞いてくれませんでした。

やがて小学校を卒業し、それぞれの中学校に行き、同じクラスになることはなかったのでそれ以上関わることはありませんでしたが、風の噂でメンバーの何人かが高校で友達関係がうまくいかず、中退したと聞きました。

今もずっと忘れない、母が抱きしめてくれたあの日のこと

私の学級会が放課後に開かれた日。
いつもより帰る時間が遅くなってしまい、帰宅すると母がとても心配していました。

「おかえり。どうしたの?遅かったね」

「うん、なんか〇〇ちゃんが仲間外れになってて、その話し合いをしてた」

私は今日の話し合いの主人公が自分だったとは口が裂けても言えず…
目を合わせられないまま嘘をついてその日は精一杯誤魔化したのですが、後日、ママ友から噂を聞いた母についに本当のことがバレてしまいました。

母は「ちょっとおいで〜」と和室に私を呼びました。

母はママ友から話を聞き、あの日帰りが遅くなったのは私の話し合いをしていたからだったことを知ったと言いました。

「どうして今まで言ってくれなかったの?お母さんを心配させたくなかったから?」

と言われ、もう隠せないと思った私は泣きながら頷くと
母は私の手をそっと引いてぎゅっと抱きしめ、
「辛かったね。えらかったね。」と頭をなでてくれました。

決して私を否定せず、よく頑張った、よく我慢したと言ってくれたので私はその日、1年分の涙を流しました。

このとき、もし自分のことを母から少しでも責められていたら…
私は失ってしまっていた自信を完全に喪失しきっていたと思います。
自分を責めずにいてくれた母に今でもずっと感謝しています。

いじめを体験した私が、学校に行きたくないあなたへ伝えたいメッセージ

いじめを経験した私が伝えたいことがあります。

私は今すごく幸せです。
自分のことを誰よりも理解してくれている家族がいます。
いつも背中を押してくれる大好きな友だちがいます。
こんな自分を愛してくれる夫がいます。

甲元ヒロさんの名言

甲元ヒロさんの素晴らしい名言を聞いてください。

「居場所あるよ。席あるじゃん。そこに黙って座ってりゃいいんだよ。友達なんていなくて当たり前なんだから。友達じゃねぇよ、クラスメイトなんて。たまたま同じ年に生まれた近所の奴が同じ部屋に集められただけじゃん。」

「趣味も違うのに友達になれるわけないじゃん。山手線に乗ってて、『はい、この車両全員仲よく友達ね』って言われても、『いや、偶然今一緒に乗ってるだけなんですけど』って。友達じゃねぇよ。」


本当にその通りだと思います。
ただ単に気の合う人がその場所にいないだけ。

ただそれだけのこと。
友だちが出来ない自分を責める必要は全くありません!!


ただ、大人は転職をしたり、ある程度自分で環境を変えることはできます。
子どもはそうはいきません。

引っ越しも簡単にはできませんよね。

あなたを理解してくれる人は必ずいる

今は辛い環境かもしれない。
でも大丈夫‼︎
生きていれば必ずあなたを理解してくれる人は現れます。

私は短大生の頃、自分を全てさらけ出せるかけがえのない仲間と出会いました。
その仲間のうちの一人も、短大生になるまで心から信頼できる友だちがいなかったそうです。
短大の卒業旅行で行ったサイパンで、彼女は仲間と出会えたこと、幸せな今に泣いていました。

「自分だけじゃなかったんだ」
そう思いました。

怖がらないで、まずは家族や信頼のできる人に話をしてみてください。

いじめをしているあなたへ

そして今自分の意思ではなく、軽い気持ちでいじめをしているあなたに伝えたい。
私はもうすぐ40歳になりますが、いまだにこの話を思い出すと涙が出ます。

一生忘れることのできない光景が頭の中にあります。


あなたが軽い気持ちでやったことは、 相手の人生に深く刻まれるのです。


あなたの 勇気ある「もうやめない?」という一言が
どれほどの力を持つかを知ってほしい

まとめ 学校に行きたくないあなたへ【いじめ体験談】傷ついた心に届けたい未来からのメッセージ

最後まで読んでくれてありがとうございました。
ほんのわずかでもいい。
あなたの傷ついた心がほんの少しだけでも軽くなってもらえたらうれしいです。
私は今すごく幸せだよ。負けないで!

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